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人身事故を「大いなるタブー」にしてはならない世界を「数字」で回してみよう(40) 人身事故(最終回)(3/9 ページ)

» 2017年03月13日 11時30分 公開
[江端智一EE Times Japan]

「意外」に思った10のこと

 今回の連載によって、私自身、「飛び込み自殺」についてさまざまなことを知ることができたのですが、本シリーズの全てを読み直してみて、私が意外に思ったことを、10個ほど書き出してみました。

 これらの全てで、一応は「数字で裏を取った」ことについては、自分で自分を褒めてやりたいと思います(誰も私を褒めてくれないから)。(合計300ページを超える原稿をありがとうございました……! 編集部より)

 その中でも、「飛び込み自殺」の多くが、自力ではコントロールできない心の病(うつ病)によって発生していた、という事実は、この連載の内容の大きな転換点となりました。この時から、私の「飛び込み自殺」に対する見方が大きく変わったと思うのです。

 私たちは、自分たちを取り囲む、さまざまな対象と相関関係を持ちながら、バランスを図りつつ、自分の人生と社会の両方を維持しています。

 例えば、個人としての私と、法人としての鉄道会社は、金銭と輸送サービスを交換することによって、相互の利益を導き出す関係にあります。私は鉄道会社に対して、対価に見合うサービスを要求し、鉄道会社は私に対して、運行を潤滑に進めるためのマナーを要求する関係にあり、これは、多くの場合うまく機能しています。

 ところが、ここに、内向きに完全に閉じ、外部からの干渉を全く受けつけない、完全に予測不能なオブジェクト ―― うつ病による自殺希望者 ―― が入ってくることによって、この関係は、一気に崩れ去るのです。

 上記の図から明らかなように、飛び込み自殺による人身事故の被害は、飛び込み自殺者が起因で発生し、そして、関係者全員を不幸にしながらこの状況が続き、しかも、その損害を回復するループは、どこにも作り出せません。

 以前、うつ病による自殺の特徴は、その自殺の動機が、第三者から見て「さっぱり訳が分からない」ことがあるというお話をしました(「データは語る、鉄道飛び込みの不気味な実態」)。

 うつ病の原因が、私たち(の社会)の理不尽や無理解にあるとすれば、飛び込み自殺を発生させたのは私たち自身(の社会)ということになります。

 この理屈を延長させていけば、私たちは、私たち自身の責任で、人身事故の遅延という形で報(むくい)を受けている、という結論になり、一応の説明はできます ―― が、このようなメタ議論は、どれだけ積み上げたところで、(哲学的でかっこいい話になるかもしれませんが)何の進歩も効果も期待できないものです。ただの時間の浪費なのです。

 もちろん、自殺者を減らすことが、この問題を解決する根本的な方法であることは明らかです。法律に基づく行政の働きかけもあって、その効果は上がってきているようです。しかし、これも既にお話しましたが、「飛び込み自殺者数」だけが減少していない ―― 停滞し続けているのです(「「江バ電」で人身事故をシミュレーションしてみた」)。

 この理由についてはよく分かっていませんが、これをうつ病患者数の増減と関係があると考えれば、一応の説明は可能です(参考サイト)。そして、現時点において、うつ病を減らす決め手となる手段はない状況です。

 上記の話から導かれる一つの仮説は、少なくとも当面の間「『飛び込み自殺』を根絶する手段はなく、私たちは『不幸の相関』を止めることができない」ということです。

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