連載
» 2017年07月27日 11時30分 UPDATE

Over the AI ―― AIの向こう側に(13):弱いままの人工知能 〜 “強いAI”を生み出すには「死の恐怖」が必要だ (4/9)

[江端智一,EE Times Japan]

「AIが○○した」という見出しが躍る

 さて、「AIの知性」に関した話題としては、最近「AIが○○した」というフレーズが、新聞や雑誌、Webニュースの見出しとして踊っています。

 特に最近では、「AIが小説を書いた」は、かなりセンセーションな話題となっていました。これが事実であれば、今世紀最大級の発明になっているはずですが ―― 今や、その話を全く聞かなくなりました。

 そんな訳で、今回「AIが○○した」を、ざっくり調べてみたのですが ―― もう、本気で泣きそうになりそうなほど、それはそれはショボい話のオンパレードでした。

 一つ一つ説明するのも面倒くさいので、割愛しますが、ともあれ、このニュースの内容で「AI」が主語になる理由が、全く分かりません。ここで「AI」といわれているものは、人間のアシスタントをしているだけのもので、(私見ではありますが)「ワード」「エクセル」またはIME(日本語入力ソフト)と何ら変わりません。

 もっとも、私自身、この連載の第1回「中堅研究員はAIの向こう側に“知能”の夢を見るか」で、「製作者が『AI』と主張すれば、誰がどう反論しようが、それはAIである」という、江端ドクトリンを発信してはいるのですが。

 それでも、「AIが小説を書いた」と言われれば、大抵の人は、「何の操作もしていないパソコンのプリンタから、次々と小説が印刷され、それを読んで、人々が目を丸くする」という場面を想像しますよね(そんでもって、小説家やライターが失業する、という定番パターンの『AIによる失業』論が展開される、と)。

 しかし、そのようなAIは、少なくとも現在のコンピュータアーキテクチャのパラダイムでは、絶対に起こり得ません。

 以下、その理由について、いろいろな「権威」を引用して論を進めてみたいと思います。

「弱いAI」「強いAI」

 先ほど紹介したジョン・サール先生は、私が感じているイライラに対して、AIを2つの概念、"弱いAI"と"強いAI"の2つで考えることを提唱しています。

 簡単に言うと、"弱いAI"とは、人間の知的作業をサポートするAIであり、"強いAI"とは知能を持つAI、となります。

 囲碁や将棋のAIは、一見"強いAI"のようにも見えます。しかし、囲碁や将棋のAIは、ルールに従って処理を進め、局面ごとに確率的に妥当な手を計算しているだけです。

 ゲームに勝つと、そのゲームの内容をさかのぼって、局面単位の「手」の評価値(数値)を上げ、負ければ評価値を下げます。「勝負に勝つ」ことも「勝負に負ける」ことも、囲碁や将棋のAIにとっては、評価値を変更するために使われるパラメータの1つにすぎません。

 もっと極端に言えば、囲碁や将棋のAIは「負ける方法」も学習しているといっても良いのです。そして囲碁や将棋のAIは、「負ける」ことが「悪いこと」などとは1mmたりとも考えていません。そういう意味において、囲碁や将棋のAIは、"強いAI"の範ちゅうに入れることは、できないのです。

Copyright© 2017 ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

RSSフィード

All material on this site Copyright © 2005 - 2017 ITmedia Inc. All rights reserved.
This site contains articles under license from UBM Electronics, a division of United Business Media LLC.