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» 2017年10月30日 11時30分 公開

Over the AI ―― AIの向こう側に(16):モノマネする人工知能 〜 自動翻訳を支える影の立役者 (9/10)

[江端智一,EE Times Japan]

自動翻訳技術の「立ち位置」は、私の興味とは真逆

 今回のコラムの執筆で気がついたのですが、自動翻訳技術の「立ち位置」は、私の興味のある分野と真逆のようです。

 しかし、将来、これも対訳コーパスが充実してくれば、もしかしたら、私の興味のある分野でも、十分活躍してくれようになるかもしれません ―― 例えば、以下のような感じに。

 自動翻訳技術は、未来に期待のできる"AI技術"の1つとしてカウントできるような気がしてきています。

 それと、前述した通り、戦後から今に至るまでの日本の英語教育と1950年代〜1970年代の英語翻訳技術のアプローチは酷似しています。

 そして、近年「大量」「力づく」「確率計算」というパラダイムによって、自動翻訳の技術は、一気に向上しました。これは、いわゆる「ある企業が、英語に愛されないエンジニアを海外に送り込む*)」の、非道かつ乱暴なアプローチに似ている、とも思えます。

*)関連記事:「「海外で仕事をしたい」なんて一言も言っていない!

 義務教育の英語教育では、大量の人間(子どもたち)に、一定水準レベルの英語教育を施さなければなりません。語学というものを単語、例文、文法というものに「因数分解」して、その上で「因数を組み立てる訓練をする」という量産型英語教育手法は、費用対効果から見ても優れていると思います。

 つまり、これは、「どちらが優れていて、どちらが正解か」という話にはならないのです。

 それでも、少なくとも、近年の自動翻訳技術の手法から、上記の「因数分解的な英語教育手法だけが、絶対的ではない」ということが分かっただけでも ―― 私にとっては、とてもうれしかったのです。


 さて、今回のコラムで想定した翻訳対象の言語は「英語」でした。これは、私たちが「英語」の内容を、(そこそこ)理解できるという前提で論じられています。

 この前提において、"AI翻訳"と共生する未来を考えてみましたが、私たちの実生活では、あまり変化はない、と、ややネガティブに考えています。特に「語学(英語の勉強)不要論」は、全く成立しないだろうと思っています。

 もし翻訳対象の言語が、「タミル語」であったとしたら、私たちは「気持ち悪い」以前に「誤訳」にも気が付くことができません*)

*)関連記事:「エンジニアが英語を放棄できない「重大で深刻な事情」

 こんな不安一杯の中で、(プライベートであれビジネスであれ)母国語の利用だけを想定とした、国際コミュニケーションが実現するとはとても考えられません。

 ただ、この「気持ち悪い」の問題についても、現在の「大量」「力づく」「確率計算」翻訳の技術によって、徐々に克服できていくのではないかと期待しています(理由は前述の通りです)。

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