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» 2018年05月22日 11時30分 公開

世界を「数字」で回してみよう(49) 働き方改革(8):私を「疾病者」にしたのは誰だ? 労働と病(やまい)の切っても切れない関係 (3/10)

[江端智一,EE Times Japan]

「健康」とは「ブランド」である

 その一方で、次のような奇妙なデータもあります。

 私たちは、全ての世代において、男性も女性も、「自分が健康である」という自覚が非常に高いのです。私たちは、「疲れていても」「痛くても」「通院中であったとしても」、自分たちが「健康である」と考えているのです。

 この奇妙な現象を説明する1つの仮説が、「(1)私たちは"健康"に対する概念が、恐しく広い」です。私たちは、日常生活が送れているのであれば、それはもう十分に健康と考えているような気がします。下手すると入院している人でも、会話ができる状態であれば、健康と考えている人もいるかもしれません。

 私たちにとって、「健康」の対立概念は「病気」ではなく、「死」ではないか ―― そんなことを考えています。

 もう1つの仮説は、「(2)"健康"とは"ブランド"である」です。

 「健康」が主張できない人間は、受験、就職、就業、出世、そもそも恋愛においても、社会からスコープ外とされてしまうような雰囲気があります。この一つの証拠とし、「体調が悪い」と言えば、大抵の場合、それ以上の細かいことを尋ねられることはありません。

 私たちは、「体調が悪い」と言われた瞬間に、それが「仮病であるか否か」などと疑おうとはしません。ただ、その人を、自分の視野から消すだけです。

 逆から見れば、消される側にとってこれは相当の恐怖です。特に権力サイドに立つ政治家や会社役員にとっては、「病気であると認識される = 権力の崩壊」は自明のことです(ですので、彼らは病気になっても、それ必死で隠蔽(ぺい)しようとします)。

 権力サイドでなくても、「"健康"であると主張できること」は、私たちがこの社会で生きていくための貴重な価値なのです。

 ところが、この価値が、その価値のベースとなるものによって壊されているのです。今回のコラムでは、この矛盾について語りたいと思います。

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