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旭化成のCVCが成功に向かっている、4つの理由イノベーションは日本を救うのか(26)(1/3 ページ)

今回は、シリコンバレーでのCVC(コーポレートベンチャリング)活動としては、数少ない成功事例ともいえる、旭化成を紹介したい。

» 2018年06月19日 15時30分 公開
[石井正純(AZCA)EE Times Japan]

「イノベーションは日本を救うのか 〜シリコンバレー最前線に見るヒント〜」バックナンバー

 前回の「NECとパナの実例で読み解く、コーポレートベンチャリングの難しさ」で紹介した通り、シリコンバレーでCVC(コーポレートベンチャリング)を成功させることは難しい。そもそも、何をもって「成功」とするのか、というのは意外と難しい。

 一方、「失敗」の定義は簡単だ。例えば、戦略的な目標も達成できず金銭的にもロスを出し撤退せざるを得なくなる、あるいは金銭的にキャピタルゲインが出ても戦略的な目標は達成できずそれで終わりになる、これらは、分かりやすい「失敗」の定義だろう。だとするならば、「成功に近い」、あるいは「失敗していない」の定義は、まずは「継続している」ことが挙げられるかもしれない。前回の例でいえば、パナソニックは、少なくとも「失敗」とは言い切れないだろう。

 そこで今回は、シリコンバレーでの数少ないCVC成功事例ともいえる旭化成を紹介したい。

CVCの設立を、自ら社長にかけ合う

 シリコンバレーにある旭化成のCVCを率いる人物を、M氏としよう。筆者とは長い付き合いだ。

 M氏は、2001年に旭化成の駐在員としてシリコンバレーに赴任。現地で、提携できるようなベンチャー企業を探すことに従事した。同氏は、これを2年半くらい行い、その後いったん日本に戻る。

 ここでM氏は、一般的な駐在員とは異なる行動に出る。自ら、CVCの必要性を社長に訴え、シリコンバレーにCVCを設立することを提案したのである。

旭化成CVCの位置付けと役割 出典:旭化成(クリックで拡大)

 このかいあって、2008年より、3年間で10億円の予算をもらい、最初は日本をベースにシリコンバレーや米国に戦略投資をするCVC活動を開始する。その後、2011年には、「米国で直にCVCの活動を行ったほうが効率がよい」として、CVCの拠点を東京からシリコンバレーへと移した。以下、これを「旭化成CVC」とする。

 ここでちょっと余談だが、2011年当時、筆者が代表を務めるAZCAの事務所は、Menlo Parkにある某オフィスコンプレックスの中の建物の一つの1階に入っていたが、旭化成CVCはたまたま同じ建物の2階、AZCAのちょうど真上に入居してきたのだった。M氏と私は懇意な仲だったこともあって、入居してしばらくの間、旭化成CVCはAZCAのWi-Fiを借用していたことを覚えている。

 さて、これでやっと腰を据えてシリコンバレーでCVCの活動を始められたわけだが、当初はやはり苦労したという。M氏は、“連携の壁”について、筆者に語ってくれた。以下の7つである。

  • 経営が連携の必要性を理解していない
  • 経営レベルで連携する領域が不明確
  • 連携先の探索
  • 連携先との契約、知的財産の交渉
  • 他部門との調整
  • 連携開始後のマネジメント

 やがて、こうした障壁を少しずつ乗り越え、小さな成功が出始める。また、2010年に投資をしたDeep UV(深紫外線) LEDのベンチャー企業 Crystal ISの全株式を 2012年1月に取得して子会社化した。このころになると、CVCの実績は旭化成本社から徐々に認められるようになっていく。

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