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ぎゅっと凝縮した1枚のプレゼンで勝負EETweets 岡村淳一のハイテクベンチャー七転八起(3)

海外出張の技術プロモーションで相手に興味を持ってもらうには!?日本人好みの絵や写真が満載のパワーポイントはゴミ箱に捨てましょう。キーポイントを絞り込み、簡潔な文章でまとめることが大切です。

» 2011年12月01日 10時00分 公開
[岡村淳一,Trigence Semiconductor]

@trigence」のつぶやきを出発点に、企業経営のあれこれや、エレクトロニクス業界に思うこと、若い技術者へのメッセージを連載中!!→「EETweets」一覧

 皆さん!こんにちは。今回はニューヨークのホテルで原稿を書いています。ハイテクベンチャーを起業したときから、海外での活動は必須だと考えていたので海外出張は仕事の一部です。「ベンチャーごときが海外出張など……」と思われる方もいるかもしれませんが、海外企業との関わりなくしてハイテクベンチャーの成功はないと思います。ディスカウントチケットを使うことにはじまり、安いホテルやレンタカーの活用など、できる限り経費を削減した出張は身体にこたえます。けれど一方で、現地サポートに頼らずに全てを自ら解決しなければならない海外出張の緊張感は、癖になる魅力がいっぱいです。

 さて海外出張の目的は当然、技術プロモーションです。開発したトンデモ新技術を海外企業に採用してもらわなくては、ライセンスビジネスは成り立ちません。どんなささいなきっかけやか細い人脈でも、つかんで、結んで、伸ばしていくことをあきらめずにやり通す。国内でも大変な作業を海外にまで広げるわけですから、それなりの努力と覚悟が必要です。

 アポイントの第一歩は、トンデモ新技術に興味を持ってもらうことです。しかし、まったく面識がない相手から渡されたパワーポイントの資料を何ページも読む暇は、誰にもありません。忙しい相手の立場になれば、新技術の特徴をなるべく1ページに凝縮して表現すべし。そうして、相手にもっと詳しいプレゼンテーションやデモを見たいと思わせられるかが勝負です。当社のフルデジタルスピーカ技術「Dnote」の紹介には、図1のようにデジタルスピーカーを分かりやすく視覚化したプレゼン資料を使ってます。

図 図1 当社のプレゼン資料の一例です。海外でのプレゼンテーションでは、新技術の特徴をなるべく1ページに凝縮して表現し、相手にもっと詳しいプレゼンテーションやデモを見たいと思わせることが重要です。

 前回、EE Times Japanの編集の方に当社のWebサイトの「ピカ氏の技術コラム」にリンクを張ってもらいましたが、あのコンテンツもアポイントを獲得する手段の1つです。技術系以外の方から「面白いね」というコメントもらい、そこから話が膨らむことが何度もありました。新規顧客へのアポイント確保はビジネス立ち上げの要です。新技術の核心を知るエンジニアこそ、ビジネスの“オープニング”にもっと携わるべきだと思います。

 第一関門を突破したら、次の勝負はプレゼンです。プレゼンはパフォーマンスです。表現や比喩(ひゆ)の使い方など事前の練習も大事ですが、本番の場数を踏んでいくことの方がもっと重要。謙虚さが重んじられる日本のエンジニアの間では好まれない「あ〜いえば、こ〜いう」的な押しの強さが海外では逆に求められます。相手の指摘で簡単に黙ってしまうようでは、その時点で撃沈です。

 加えて、外国語でのプレゼンのマイナスポイントを補うべく、デモンストレーションを使ったポイント加算が必須です。例えば、当社のDnoteのデモの見せ場は、USBのバスパワーだけで鳴り響く、Hi-Fiサウンドを聴かせることです。海外でデモするとその音を聞いた皆さんが、アンプや電池をどこかに隠しているのじゃないかと探し始めます。このようにデモンストレーションでは、相手の記憶に刻み込まれる強いインプレッションを与えられているか、相手がビジネス上のアドバンテージを容易に類推できているか、アプリケーションの展開や発展性のイメージが湧いているかなどをチェックします。プレゼン相手から、新しい切り口の応用例が出てくるようなら大成功です。すぐに取り入れて別のプロモーションに活用しましょう。

 エンジニアが専門家として技術だけを追いかけていれば良い時代は過ぎ去りました。専門家として技術の骨格をしっかり理解しているからこそ、それをかみ砕き、他人に理解してもらい、ビジネスの立ち上げに積極的に関与していくことが求められているのだと思います。ハイテクベンチャーのエンジニアは大変だね〜って?いやいや皆さんにも求められているチャレンジですよ〜。

Profile

岡村淳一(おかむら じゅんいち)氏

1986年に大手電機メーカーに入社し、半導体研究所に配属。CMOS・DRAMが 黎明(れいめい)期のデバイス開発に携わる。1996年よりDDR DRAM の開発チーム責任者として米国IBM(バーリントン)に駐在。駐在中は、「IBMで短パンとサンダルで仕事をする初めての日本人」という名誉もいただいた。1999年に帰国し、DRAM 混載開発チームの所属となるが、縁あってスタートアップ期のザインエレクトロニクスに転職。高速シリアルインタフェース関連の開発とファブレス半導体企業の立ち上げを経験する。1999年にシニアエンジニア、2002年に第一ビジネスユニット長の役職に就く。

2006年に、エンジニア仲間3人で、Trigence Semiconductorを設立。2007年にザインエレクトロニクスを退社した。現在、Trigence Semiconductorの専従役員兼、庶務、会計、開発担当、広報営業として活動中。2011年にはシリコンバレーに子会社であるDnoteを設立した。



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