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産学連携ベンチャーを成功させる3つの鍵EETweets 岡村淳一のハイテクベンチャー七転八起(12)(2/2 ページ)

» 2012年09月03日 08時00分 公開
[岡村淳一,Trigence Semiconductor]
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(1)当事者意識を持つこと

 技術のコアコンピタンスを大学に求めるなら、技術開発や企業経営に対して、大学の研究者に積極的に関与してもらう必要があります。開発が順調に進んでいる時には良好な関係を構築するのは容易ですが、開発が順調に進まなかったり、新たなブレイクスルーが必要になった時にも、積極的に開発に関わってくれることが産学連携を成功させる鍵です。それには、大学の研究者が開発をリードする当事者として現場に踏みとどまってくれるような心理面の仕組みが必要です。全てのケースに当てはまるとは思いませんが、当社の場合は、起業メンバーとして大学の研究者に自腹で資金を供出していただいています。

(2)開発業務に専念できる開発リーダー

 大学の研究者とは別に、100%全力で開発業務に専念できる開発リーダーが必須です。できれば、大学の研究者と同等レベルの技術力を持ち、共同開発者として時には独力で開発を進められる力があることが理想でしょう。大学の研究者と上下関係なく、フランクにコミュニケーションできることも求められると思います。さらに、技術面だけでなく、営業面でも活躍できることも重要です。大手企業で海外も含めて活躍していたことがある方なら、産と学を結ぶ人材になれる可能性は十分にあります。ただし、プライドは捨てること。技術をビジネスにつなげる道を開拓するのは泥臭い仕事です。

(3)攻めの知財戦略

 開発成果の価値を最大化するために、知財戦略は欠かせません。小生が会社を登記した後にまず最初にしたことは、特許を書くことでした。ハイテクベンチャーに必要なのは、攻めの知財戦略です。ですから、海外への特許申請は当たり前。産学連携にありがちな、大学との複雑な権利関係もはっきりさせないと、ベンチャーキャピタルから投資を受ける時に問題になります。さらに、親身に相談に乗ってくれる弁理士や弁護士は、ハイテクベンチャーを成功させるカギになると思います。ただし、費用は掛かります。いかに費用を節約して効果を高めるか?インセンティブによる費用補償などを条件として協力してくれる方をパートナーとすべきです。

日本の産学連携ベンチャーに欠けているのは、技術を理解した上でそれをプロモーションできる人材だろうね。エンジニアの中では、「口八丁」は良いこととされていないが、それをあえてできる胆力と信頼を失わない程度のハッタリで飾れる技術的な背景を持った人材だね!


 政府が推進する技術移転機関(TLO:Technology Licensing Organization)の支援や、産学連携ベンチャーを対象にしたさまざまな施策があるにもかかわらず、産学連携ベンチャーの成功例は多いとはいえません。少ない事例からですが、成功に欠けているものは何かと問われれば、それは当事者が行動を起こすためのインセンティブを付与する仕組みだと答えます。インセンティブの仕組みは、政府の施策に頼るのではなく、当事者の起業モデルの中で工夫すべきものです。そして、政府は各企業のインセンティブの仕組みを邪魔するような施策を打ち出すべきではないでしょう。

ハイテクベンチャーならプロモーションをケチってはいけない。産学連携だからって学会で発表しただけで満足していては、ビジネスは立ち上がらない。顧客との面談を通して、時に罵倒され、時に応援され、いろんなフィードバックをもらって、それを開発にフィードバックしながら進むんだよ。


 現代の技術イノベーションの種は、「境界」に偏在するのではないでしょうか?技術分野の境界、アカデミック分野の境界、アカデミックとビジネスの境界、ビジネス階層の境界などです。既存の枠組みの中で技術をブラッシュアップさせることで価値が生まれた時代は過ぎ去りました。垣根を取り払うことで生まれる「何か」に価値があるのです。ですから、小生は産と学の垣根を取り払う「産学連携」がイノベーションを生み出す力になると信じています。大学と疎遠になっているあなた。学園祭シーズンに久しぶりに所属していた研究室でも訪問してはどうでしょう? 何か新しい人脈や発見があるやもしれませんよ〜*1)

*1)2012年9月27〜28日に東京国際フォーラムで産学官連携イノベーションジャパンが開催されます。

Profile

岡村淳一(おかむら じゅんいち)

1986年に大手電機メーカーに入社し、半導体研究所に配属。CMOS・DRAMが 黎明(れいめい)期のデバイス開発に携わる。1996年よりDDR DRAM の開発チーム責任者として米国IBM(バーリントン)に駐在。駐在中は、「IBMで短パンとサンダルで仕事をする初めての日本人」という名誉もいただいた。1999年に帰国し、DRAM 混載開発チームの所属となるが、縁あってスタートアップ期のザインエレクトロニクスに転職。高速シリアルインタフェース関連の開発とファブレス半導体企業の立ち上げを経験する。1999年にシニアエンジニア、2002年に第一ビジネスユニット長の役職に就く。

2006年に、エンジニア仲間3人で、Trigence Semiconductorを設立。2007年にザインエレクトロニクスを退社した。現在、Trigence Semiconductorの専従役員兼、庶務、会計、開発担当、広報営業として活動中。2011年にはシリコンバレーに子会社であるDnoteを設立した。



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