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非核三原則に学ぶ、英語プレゼンのポイント「英語に愛されないエンジニア」のための新行動論(17)(2/7 ページ)

» 2013年04月23日 11時00分 公開
[江端智一,EE Times Japan]

プレゼンとは“ドラマ”である

 IETF(Internet Engineering Task Force)のミーティングに参加した時に特に痛感したことなのですが、プレゼンテータの多くは「情報を正しく伝えること」に努力しているようには見えませんでした。むしろ、「でたらめでもいいから、大ざっぱな情報を、聴衆の『脳みそ』に確実に焼きつけること」に力が注がれていたように思います。

 彼らは、プレゼンテーションの主張点をきっちり「3つ」に絞ってきます。そして、その「3つ」を、聴衆に記憶させるためなら――これは本当の話ですが――彼らは「踊る」こともいとわないのです。「踊るプレゼンテータ」です。

 聴衆を目の前にしながら、スライドが表示されたスクリーンの前をカニのように横歩きし、何度も往復しながら、両手を広げ、腰をくねらせ(時々小指が立っていたりするし)、怒りや悲しみ、哀れみ、そして喜びといった全ての表情を駆使して、聴衆に訴えかける――。これを、一言で表現するのであれば、「ドラマ」です。

 「プレゼンテーション資料はラブレターである」なら、当然、プレゼンテーションはドラマの中の「愛の告白シーン」でなければなりません。

 プレゼンテーションが「愛の告白シーン」であるなら、手元の原稿を見ながらプレゼンテーションすることの異様さが理解できるはずです。「ああ、ロミオ。あなたはどうしてロミオなの?」という芝居のクライマックスを、役者が台本に目を落としつつ棒読みで台詞を読み上げたら、そりゃ興ざめること甚だしいです。観客は怒り出すかもしれません。

 英語に愛されていないエンジニア、もとい、われわれ日本人に決定的に欠けている資質を挙げろと言われれば、私は「演技力」であると断言できます。

 プレゼンテータがプレゼンテーションを「愛の告白」として捉えていることを示す証拠があります。彼らのプレゼンテーション後の質疑応答において、「なんであんな自信たっぷりに、的外れの回答ができるのだろう?」という場面に頻繁に巡り合います。質問者が表現を変えて、同じ内容の質問を試みますが、胸を張って威風堂々と、さらに変てこりんな回答を返すのです。

 なぜこのようなことになるのか? 理由は明快です。「愛」です。

 彼らは、自分の技術を心の底から愛しているのです。そして、あまりにも愛しすぎているので、他人の意見(忠告や批判を含む)を聞き入れる余地がなく、第三者の視点から客観的に眺められないのです。エンジニアとしてどうかとは思いますが、彼らは「愛」だけで国際会議のプレゼンテーションに挑んでくるのです。あのメンタルだけは心底すごいと思います。

 私は、あなたのプレゼンテーションに、このようなパラノイアな偏愛を求めるわけではありません。ただ、ドラマの俳優または女優のような気持ちになって、「愛の告白」の芝居をしてほしいと申し上げているだけです。

海外出張に行くあなたは、“たった一人の劇団”である

 まとめます。

 「プレゼンテーションはドラマである」→「ドラマである以上、我々はプレゼンテーションにおいてプレゼンテータという俳優または女優として、『愛を告白する』主役を演じなければならない」→「主役を演じる以上は、観客を感動させなければならない」→「感動させるためには、感動させるポイントを3つに絞らなければならない」→「そのポイントを完全に覚えて帰ってもらうためには、『踊るエンジニア』になることすら、躊躇(ちゅうちょ)してはならない」

 言うまでもなく、あなたの顔は、手元の原稿でもスクリーンでもなく、聴衆の方を向いていなければなりません。必要なら苦渋にまみれた表情をし、そして時々はジョークを入れることが望ましいです。大丈夫です。英語に愛されないエンジニアの英語のジョークは「滑りません」。そんな必死の異国人に冷たくできる程、どの国の人間も冷酷ではありません。皆、暖かな目で見てくれますので、好感度アップを保証します。

 われわれは異国の地において、「たった一人の軍隊」であると同時に「たった一人の劇団」であることまでも要求されるのです。

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