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“電力大余剰時代”は来るのか(後編) 〜原発再稼働に走る真の意図〜世界を「数字」で回してみよう(5)(2/3 ページ)

» 2014年09月05日 07時00分 公開
[江端智一EE Times Japan]

2度のオイルショック

 当時の日本はイスラエルを支持していたわけではないのですが、少なくともイスラエルを支持しているアメリカとは「友だち」ということになっていました。もし、アラブ諸国が「友だちの友だちは、友だちだよな」などと言い出して、日本への原油輸出を止めたら、どうなるでしょうか?

 その時の日本政府や企業は、中東とのパイプの強い政治家を派遣し、また会社の社長たちは、独自に石油の確保に奔走しました。「石油が手に入るのであれば、値段などはどうでもいい」という錯乱状態でしたので、たちまち原料不足や資材の高騰、操業時間の規制などにより物価は急騰することになりました。

 消費者である私たちも踊り狂いました。

 「モノがなくなる」という風説が口コミで広がり、スーパーでは開店と同時に買い物客が殺到し、トイレットペーパーを求めて店の中で奪い合いが始まっていました。砂糖・しょうゆ・洗剤などの生活物資の買いだめが続きました。当時小学生だった私も、1人1パックしか買えない卵を求めて、母親にスーパーマーケットに連れられ、レジの列に並ばされたのを覚えています。

「オイルショック」により、日用品を奪い合う日々が続きました

 エスカレータ、ネオンサインが止められ、野球のナイターがデーゲームに代わり、そしてテレビの深夜放送が自粛されました。

 さらに小売業者の買占め、売り惜しみ、便乗値上げが横行し、まさに「狂乱物価」の様相を呈していました。

 私たち日本人はその時、本当の意味で、自分の国が「持たざる国」であることに、そして、外国の気まぐれな輸出制限一つで、日本の国民全体の命が危機にさらされる惰弱な国であることに、気が付いたのです。

 さらにその6年後の1979年には、イランでイスラム革命(イラン革命)が起こりました。イランからの石油の供給が止まり、第二次オイルショックが起こり、第一次と同様の混乱を経て、私たち日本人は、日本が「持たざる国」であることを、またしても思い知らされたのでした。

 ―― 過去、「オイルショック」という恐怖に2回もさらされた。

 政府や経済界が、あれほどまでに原発を再稼働させたがっているのは、この事実があるためだと考えられるのです。

原発は、不足電力の担保が目的ではない

 しかし、原子力発電であっても、結局のところ燃料であるウランを輸入しなければならない点では、他の化石燃料を使った発電方法と同じ話です。火力発電などを「国産エネルギー」と呼ばないのであれば、原子力発電も「国産エネルギー」ではないはずです。

 ただし、原子力発電は、燃料のストックがしやすいという点で、石油や石炭に比べると有利です。(参考記事:なぜ、福島原発“5重の壁”は簡単に壊れ放射性物質が放出した?)。

 10トントラック2台分のウランで、100万kWの電力が1年分作れるのです。これを、火力発電でやると、20万トンタンカー*)7台分の石油が必要になります(約7万倍)。これだけコンパクトなモビリティ性の高い燃料であれば、いざとなったら、非合法な手段でも入手できそうですしね(できないか)。

*)参考記事はこちら

 結局のところ、「不足電力の担保」ではなく、「非常用電源の確保」が目的なのだと思います。

 政府や経済界はとにかく、安定した電力エネルギーを確保できて、外国の気まぐれでエネルギー燃料が入手できなくなるような事態が避けられるのであれば、どんなエネルギーだって構わないはずなのです。

 事実、今の日本は、「外国の気まぐれ」対策として、バラバラの国から、ちまちまとエネルギー燃料を買い付けています。ざっくりこんな感じです。

日本におけるエネルギー源の割合と調達先

―― 節操のない買い物しているなぁ

などと思うわけがありません。

 特定国で一気買いすれば安く購入できるが分かっていても、それができない「持たざる国」日本。とにかく、取引してくれる国とは、コスト度外視で、どんなささいなコネでも作っておくという、「全方向」からエネルギー資源を確保するという涙ぐましい戦略が見てとれます。

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