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「環境問題」とは結局何なのか(前編)〜勝算不明の戦いに挑む意義〜世界を「数字」で回してみよう(8)(2/3 ページ)

» 2014年11月12日 09時00分 公開
[江端智一,EE Times Japan]

“だから、何なのか――”

 こんにちは、江端智一です。

 今回から新シリーズを開始します。このシリーズでは「環境問題」を数字で回してみようと思います。

 私は、この「環境問題」というものに、今一つ、気持ちが乗ってこなくて、正直困っているのです。

 例えば、環境庁の「地球温暖化パネル」によれば、地球の温暖化によって、

  • 海面上昇
  • 動植物の絶滅リスク増大
  • マラリア感染エリアの増大
  • 異常気象の増加
  • 食料不足
  • 熱帯低気圧の巨大化

が、発生するといわれています。

 また、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)によれば、

  • 気候変動についての温暖化については、疑う余地がなく
  • 20世紀半ば以降の人間活動が、その原因である可能性が「極めて高く」
  • 2100年には、最悪で平均気温が4.8度上昇し、水位は82cm上昇する

と、いわれています。

 しかし、私は、その話を聞いても、

「だから、何なの?」

 と思ってしまうのです。

 私が、今回「環境問題」に関して持っている疑問は、大きく4つあります。

(1)環境の変化がなぜ問題となるのか
 地球も生命体の一つと考えるのであれば、人間側からの干渉の有無に関わらず、その地球が変化していくことは、当然の変化のように思えます。

(2)そもそも、この環境問題は、人間がなんとかできる「対象」なのか
 現在、CO2を削減し、ゴミの分別をするなどの対策が行われています。効率のよいエネルギーを再利用させる社会を実現するためには、とても意義があると思いますが、これを「環境問題」という観点から見たとき、的外れな「スイッチ」を押しているということはないかと、心配になることがあります。

(3)さらに、この問題、現在の人間の力で、なんとかできる「範囲」にあるものなのか
 例えば「台風のルートを変更させる研究」や「地震を消滅させる研究」などは存在しません。意味がないからです。電卓を叩いてみたところ、台風や地震のエネルギーは、ざっと、広島に投下された原爆の約2万倍以上のエネルギーがあり、こんなものを人類はコンロールできません。

 ですから、この環境問題も「そもそも最初から勝てない相手に勝負を仕掛けていないか」と思うことがあります。

(4)環境問題と闘う意義はあるのか
 「エントロピーの増大で、宇宙はほっといてもいつかは死ぬ(熱量死)。だから、何もかも無駄だ」 ―― という、中二病的な考え方はしないつもりです。

 それでも、例えば、私は、50年間を犠牲にして、自分の80年の寿命を800年にするための努力ならできますが、80年の人生を90年にするためだけなら、「面倒くさいなぁ」と思ってしまうのです。

 そして、この私の疑問の根っこには、冒頭で嫁さんの示したテーゼ、「『全人類、窒息死』という程の緊急性はないよね」という思い込みや、この問題に対する「当事者意識の欠如」があるのだと思います。

 下記の図は、私の中にある、この問題のイメージを、他の環境問題と比較して記載したものです。

「当事者意識」を持ちにくい

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