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特集:IoTがもたらす製造業の革新〜進化する製品、サービス、工場のかたち〜
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» 2016年07月27日 11時30分 公開

Over the AI ――AIの向こう側に(1):中堅研究員はAIの向こう側に“知能”の夢を見るか (5/8)

[江端智一,EE Times Japan]

ここから本編です

 この連載名は、“Over the AI――AIの向こう側に”です。

 もちろん、これは“Over the Rainbow――虹の向こう側に”のパクリなのですが、この連載も、映画「オズの魔法使い」と同じエンディングに着地させるつもりです。

 つまり、

 カンザスの農場に住む少女ドロシーは「虹の向こう側のどこかに(Somewhere Over The Rainbow)」よりよい場所があると夢見ている――

のと同様に、

 東京と神奈川の県境に住む中堅主任研究員江端は「AIの向こう側のどこかに(Somewhere Over The AI)」よりよい“知能”があると夢見ている――

という話を、この連載では続けていく予定です。

 そして、「この私が理解できるようなものは、AIではない」という私の仮説が真であるとすれば、

  • もし私たちが、「AI」と呼ばれるものの技術を「理解して」しまった時、
  • あるいは「理解したつもり」になった時、

 私たちの目の前からAIなる魔法の箱は消滅し、私たちは“AIの向こう側―― Over the AI”にたどりつけるはずです。

 しかし、この試みは、同時に

――AIの向こう側は、本当に私たちが望むような世界になっているのか?

という大きな問題提起も含んでいるのです。

「数式ゼロ」のAI解説を

 さて、本連載の構成は、毎回、前半後半の2部構成とする予定です。

 前半は、AIに関する私の所感(ヨタ話)にお付き合い頂き、後半はAIと呼ばれているもの、あるいはかつて呼ばれていたもの内容についてのお話をしてみたいと思います。

 さらに、後半の説明については、今回、私の新たな挑戦として、「私の身の回りの出来事」を使った、「数式ゼロ」のAI解説を試みてみたいと思います。

 というのは、私、最近、行動経済学の本を読んでいたのですが、その本の例題サンプル(『500円玉が落ちているハズがない』というような話)が退屈で、さらに、そこに数式が出てきた瞬間、いきなり読む気が失せてしまいました。

 私は、数式を理解して、プログラムコードに落とすことを生業(なりわい)としているエンジニアですが、その私ですらこの体たらくなのです。

 ですから、数式に関わる機会の少ない人――文系の人はもちろん、理系のほとんどの人さえ――にとっては、数式が登場した瞬間、そこで読むのを止めてしまうだろう、と思えたのです。

記念すべき第1回は……

 では、今回の前半分は、既に使い切りましたので、本日は、後半のAI解説に入りたいと思います。

 記念すべき第1回は、やはりファジィ推論ですね(「サンマとサバ」の面目躍如です)。

 「ファジィ推論がAIなのかどうか」の判断は、このコラムの前半の論を援用して、「江端が『AI』と思ったものであれば、誰がどう反論しようが、それはAIである」で押し通します(以後、これを、『江端AIドクトリン』ということにします)。

 このファジィ推論を、「あいまい推論」などと翻訳したドあほうが、この日本のどこかにいるはずですが――まあ、それはいいとして――ファジィ推論は、数学的に厳密な推論手法です。

 では始めます。

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