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「シリコンバレー以前」から「PCの登場」までイノベーションは日本を救うのか 〜シリコンバレー最前線に見るヒント〜(4)(2/2 ページ)

» 2016年08月04日 11時30分 公開
[石井正純(AZCA)EE Times Japan]
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「シリコンバレー」発祥の地

 1939年、スタンフォード大学の卒業生であったウィリアム・ヒューレットとデビッド・パッカードが、ヒューレット・パッカード(Hewlett-Packard Company)を創立。パロアルトのアディソン通り367番地で操業を始めた。今ではそこにあるガレージが、シリコンバレー発祥の場所として、カリフォルニア州政府から正式に認定されている。

 しかし、実はあまり知られていない話なのだが、シリコンバレーにおけるハイテクの歴史は、1909年までさかのぼることができる。

 1895年にイタリアでマルコーニが発明した電信技術を実用化しようとした、当時スタンフォード大学を卒業して間もないシリル・エルウェルや、スタンフォード大学の資金援助を得てパロアルトに創立したフェデラル・テレグラフが、米国海軍の要請に応じて長距離ワイヤレス(ラジオ波)の実用化に成功した。その技術は、第一次世界大戦で大いに活用されることになる。

 フェデラル・テレグラフからはその後、マグナボックス、フィッシャー・リサーチ・ラボラトリーズ、リットン・インダストリーなどがスピンアウトしている。半導体分野でスピンアウトにより多くのベンチャー企業が生まれるという、シリコンバレー・モデル、企業文化はこのころから既に見受けられたのである。

 その後、第二次世界大戦が終わって戦後の世の中になり、東部のベル研究所で1947年にトランジスタを発明したウィリアム・ショックレーが、1955年にパロアルトにショックレー・トランジスター・コーポレーションを設立。ロバート・ノイスやゴードン・ムーアといった優秀な科学者を招き、世界で最初のトランジスターを開発した。ショックレーはノーベル物理学賞の受賞者であり、優秀で経験豊富な科学者ではあったが、企業の経営者には向いておらず、どうも人格的には問題があったらしい。せっかく招いた優秀な科学者たちは、1年ですぐに辞めてしまった。

「フェアチャイルドの子供たち」

 ショックレ―の元を去った8人の科学者は1957年、フェアチャイルド・セミコンダクターを設立する。彼ら8人は、自ら「8人の反逆者(the Traitorous Eight)」と名乗っていた。これ以降、1980年代半ばにかけて、インテル、ザイログ、ナショナル・セミコンダクターなど多くの半導体ベンチャーが生まれていった。これらは“フェアチルドレン(フェアチャイルドの子供たち)”と呼ばれている。

 フェアチルドレンは、今日の半導体技術につながる極めて重要な技術を開発している。例えば、インテルが1974年に発表したマイクロプロセッサ「8080」が、その後のコンピュータ産業の爆発的な発展につながったことは余りにも有名である。

 半導体やICのベンチャーの出現と半導体技術の発展は、シリコンバレーの最初の波といえる。この地がシリコンバレーという名前で呼ばれるようになったゆえんだろう。ちなみに、「シリコンバレー」という呼び名は、ライターのドン・ホフラー(Don Hoefler)が1971年に、「エレクトリック・ニュース」(Electric News)という雑誌で、連載「Silicon Valley USA」を書いたことが起源だといわれている。1971年といえば、インテルが世界初のマイクロプロセッサ「4004」を開発した年でもある。

PCの登場

東京理科大学近代科学資料館に展示されている「Apple II」。2015年3月にEE Times Japanの記者が撮影(クリックで拡大)

 さて、1970年代の半ばになると、PCというものが世の中に登場する。筆者は1976年に、当時勤務していたIBMからスタンフォード大学大学院に留学していたが、「PC」と聞いて誰もが思い浮かべるであろうデスクトップPCの初期のものが登場したのも、ちょうどこのころである。それまでは、メインフレームとよばれる、部屋いっぱいを埋め尽くすほど大型の計算機を使用していたのだ。

 1976年、Apple Computerがスティーブ・ジョブズらによって設立され、1977年に発売された「Apple II」は、当時大ヒットを放った。その後、さまざまなコンピュータや周辺機器、半導体製造装置など多くのハードウェアの企業が生まれ、ハードウェア技術が進展していった。

次回につづく


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Profile

石井正純(いしい まさずみ)

ハイテク分野での新規事業育成を目標とした、コンサルティング会社AZCA, Inc.(米国カリフォルニア州メンローパーク)社長。

米国ベンチャー企業の日本市場参入、日本企業の米国市場参入および米国ハイテクベンチャーとの戦略的提携による新規事業開拓など、東西両国の事業展開の掛け橋として活躍。

AZCA, Inc.を主宰する一方、ベンチャーキャピタリストとしても活動。現在はAZCA Venture PartnersのManaging Directorとして医療機器・ヘルスケア分野に特化したベンチャー投資を行っている。2005年より静岡大学大学院客員教授、2012年より早稲田大学大学院ビジネススクール客員教授。2006年よりXerox PARCのSenior Executive Advisorを兼任。北加日本商工会議所、Japan Society of Northern Californiaの理事。文部科学省大学発新産業創出拠点プロジェクト(START)推進委員会などのメンバーであり、NEDOの研究開発型ベンチャー支援事業(STS)にも認定VCなどとして参画している。

新聞、雑誌での論文発表および日米各種会議、大学などでの講演多数。共著に「マッキンゼー成熟期の差別化戦略」「Venture Capital Best Practices」「感性を活かす」など。


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