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» 2019年01月30日 11時30分 公開

世界を「数字」で回してみよう(55) 働き方改革(14):ブラック企業の作り方 (3/9)

[江端智一,EE Times Japan]

「ブラック企業」の歴史をさかのぼる

 そもそも、「ブラック企業」とは、いつごろどのような形で使われ出したのだろうか、と調べ出したら、太平洋戦争の終戦(1945年)まで立ち戻らなければならなくなりました。

 私も驚いたのですが、1920年(昭和元年)から太平洋戦争直後(1945年)の段階において、今でいう企業という組織に属する労働人口は、たかだか30〜40%程度でした。複数の従業員を有して、製品やサービスを提供する組織(企業)は、珍しかったのです。

 国民のほとんどは自営業に従事しており、その目的は「利潤」ではなく「一家が食べていくこと」でした。当然、そこは、労働法、労基法、会社法と関係なく、ただ「家」を守る手段として、存在していたのです。

 ところが、1960年に大きな変化が発生します。労働人口の半分以上が「自営」から「雇用」形態にシフトしたのです。「雇用」とは、いわゆる「人材交換の自由経済」への移行です。これに対応して、人材に価値付け ―― ブランド化 ―― を行われるようになりました。「学歴主義時代」の到来です。

 学歴主義の落とし子である「サラリーマン」は、「エリートの象徴」でした。スーツを着こなし、さっそうと都会の街を歩く男性*)は、結婚相手としても、高いブランド価値を持っていました。

*)関連記事:「女性の活用と、国家の緩やかな死

 ここに、さらに「終身雇用」という奇妙な概念が発生します。高度経済期では、広大な国内/海外市場があり、業務不振による解雇の心配が少ない時代であり、また、どこでもどんな人材でも必要とされました。

 当然、企業は、確保した人材を丹念に教育(あるいは「洗脳」)し、企業に人生の全てを捧げることが当然とされ、その代わりに企業は、事実上の退職までの雇用と昇給を保障し、加えて、従業員に対するオプショナルなサービス労働 ―― サービス残業 ―― を初期設定として組み込んだ訳です。

 一方、経済成長が保障されている(と錯覚された)バブル期においては、一つの企業に隷属することを嫌った者達が、企業の枠組みの外で働く「フリーター」という労働形態を完成させます(この辺は、こっちのコラムに詳しく記載してあります)。バブル崩壊の直前には、雇用人口比率は80%を超え、加えて「終身雇用」「サービス残業」「フリーター」という3つの要素が出そろいました。

 そして、1991年、バブル経済が崩壊します。

 1960年から約30年間、微妙なバランスで成り立っていた、上記の3つの要素は、最悪の形で稼働し始めます。

 まず、「終身雇用」という概念が吹き飛びました。IT、ソフト産業のライフサイクルは、人間の寿命より遙かに短く、人間一人の生涯の雇用を担保できなくなりました。

 「フリーター」は自発的な労働という意味合いを失い、正規雇用を勝ち取れなかった「負け組」という意味にまで下落しました。

 この状態では「サービス残業」も当然に吹き飛ぶべきところ、これだけが生き残りました。ただし、それは生涯の雇用を担保するという意味でなく、ライフサイクルの短い企業で利益を出す手段として ―― 人間を取り換え可能な消耗部品 ―― として取り扱う形態として残留したのです。

 かくして、ブラック企業は、1960年代の高度経済成長期の企業形態を残しつつ、歪(いびつ)な形として機能し始めるに至りました。

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