メディア

Intelの創業7年目(1974年):パソコンを生み出した「8080」プロセッサが登場福田昭のデバイス通信(178) Intelの「始まり」を振り返る(11)(2/2 ページ)

» 2019年01月30日 10時30分 公開
[福田昭EE Times Japan]
前のページへ 1|2       

マイクロプロセッサ事業の課題と解決策

 1974年の「年次報告書(アニュアルレポート)」で興味深いのは、マイクロプロセッサ事業の課題について、かなり率直に記述していることだろう。

 マイクロプロセッサは、それまでのシステム開発の手法を根本的に変える製品である。ソフトウェアによって機能を実現しているからだ。変更が容易なソフトウェアを使うことで多彩な用途に対応が可能になるという画期的な製品なのだが、一方でシステム開発者であるユーザーにとっては「使い方が良く分からない」未知の製品だともいえる。それまでのシステム開発とは全て、ハードウェアによる開発を意味していたからだ。未知の製品を採用することは、当然ながら、ユーザーにとってはハードルが高い。

 全てがハードウェアというシステム開発の世界に、マイクロプロセッサは「ソフトウェア」という概念を持ち込んだ。当時のソフトウェア開発とは、汎用大型コンピュータやミニコンなどのバッチ処理が主体のコンピュータシステムにおける、プログラム開発のことを指していた。言い換えると、コンピュータのプログラム開発に関する経験が、システム開発者にはなかった。

 そこでハードウェアとソフトウェアの両面における「サポート」が、マイクロプロセッサ事業の成功には必須となった。ハードウェアにおけるサポートとは、マイクロプロセッサを単体で提供するのではなく、システムの構築に必要なメモリや入出力ICなどを含めた「ファミリー」として販売することである。ソフトウェアにおけるサポートとは、マイクロプロセッサを動かすための知識(コンピュータとプログラミングに関する知識)とノウハウ(ハードウェア回路による処理をマイクロプロセッサによる処理に変換する方法)をユーザーに会得してもらうことだ。

 そのために例えば、システム開発者向けにマイクロプロセッサを使いこなすための技術講座を、Intelは精力的に開催した。1974年に米国でこの技術講座を受講した人数は5000人を超えたと、年次報告書は述べている。

1974年におけるマイクロプロセッサ事業の課題。1974年の年次報告書(アニュアルレポート)から抜粋したもの(クリックで拡大)

次回に続く)

福田昭のデバイス通信【Intelの「始まり」を振り返る】記事一覧
創業1年目 研究開発主体で売り上げは「ゼロ」
創業2年目 初めての製品売り上げを計上するも赤字は拡大
創業3年目 売り上げが前年の11倍に急増して赤字が縮小
創業4年目 半導体メモリのトップベンダーに成長
最終損益が黒字に転換
創業5年目 収入が前年の2.5倍に、初めての営業黒字を計上
腕時計メーカーになったIntel
創業6年目 クリーンルームに防塵衣がまだなかった頃
創業7年目 「シリコン・サイクル」の登場
DRAMが「特殊なメモリ」だった理由
パソコンを生み出した「8080」プロセッサが登場
出鼻をくじかれたクオーツ式腕時計事業
「福田昭のデバイス通信」連載バックナンバー一覧はこちら

前のページへ 1|2       

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

RSSフィード

公式SNS

All material on this site Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
This site contains articles under license from AspenCore LLC.