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» 2020年06月23日 11時30分 公開

踊るバズワード 〜Behind the Buzzword(3)量子コンピュータ(3):量子ビットを初期化する 〜さあ、0猫と1猫を動かそう (1/8)

今回のテーマはとにかく難しく、調査と勉強に明け暮れ、不眠に悩み、ついにはブロッホ球が夢に出てくるというありさまです。ですが、とにかく、量子コンピュータの計算を理解するための1歩を踏み出してみましょう。まずは、どんな計算をするにも避けて通れない、「量子ビットの初期化」を見ていきましょう。

[江端智一,EE Times Japan]

「業界のトレンド」といわれる技術の名称は、“バズワード”になることが少なくありません。“M2M”“ユビキタス”“Web2.0”、そして“AI”。理解不能な技術が登場すると、それに“もっともらしい名前”を付けて分かったフリをするのです。このように作られた名前に世界は踊り、私たち技術者を翻弄した揚げ句、最後は無責任に捨て去りました――ひと言の謝罪もなく。今ここに、かつて「“AI”という技術は存在しない」と2年間叫び続けた著者が再び立ち上がります。あなたの「分かったフリ」を冷酷に問い詰め、糾弾するためです。⇒連載バックナンバー

あの小説に出てきた「トンネル効果」を考え直してみる

 前回、量子井戸について記載した後、複数の読者の皆さんからメールを頂きましたが、その中で、私がショックを受けたフレーズは「化学の学生は一次元の井戸型ポテンシャルの方程式が解けないと3回生になれず留年になってしまう」でした。

 「化学? 力学(量子力学)ではなくて?」と思いながら読んでいたのですが、よく考えてみれば、化学とは、分子レベルで、物質をくっつけたりたり引き剥したりして、新しい材料や医薬を創成する技術の学問です。

 化学専攻の学生が、量子レベルの振る舞いについて、シュレーディンガー方程式レベルの知識を持っていても不思議ではありません。しかし、ここで重要なのは、量子井戸における量子の確率的存在*)が、「高度な専門的知識」でなく、「大学の一般教養のレベルの知識」として取り扱われている、という事実です。

*)たった一つの量子の粒がさまざまな場所に同時に存在する、という、例の「気持ちの悪い現象」のことです。

 私、「量子コンピュータの原理なんぞ、難しいから理解できなくてもいいんだ」と公言して、この連載を続けていますが―― 大学3年生の段階でシュレーディンガー方程式を理解している現役大学生と、その卒業生が、この日本に山ほど存在していると思ったら ―― 恥ずかしさで、床の上を転げ回りそうになりました。

 その数、推定100万人*)以上――

*)日本の労働人口の3割を理系として、さらにその中の100人中5人(物理、化学、電気、原子力、地学(宇宙))程度と見積って、ざっくり、108万人)

 「ふっ、あの江端にとっては、この程度の話が難しいんだ」と、日本中の108万人から冷笑されていると思ったら「この連載止めようか」と真剣に考えてしまいました。しかし、逆に言えば、日本の労働人口の98.5%は私の味方である、とポジティブに考え直すことにしました。



 「トンネル効果」 ――前回お話した、エネルギーレベルの低い量子が、高いエネルギーの壁を通り抜ける現象 ―― を、最初に知ったのは、小学生の時に読んだ、故小松左京先生の小説「日本沈没」でした。

 “小学生”って、『江端、またホラ吹いているだろう』と思われるかもしれませんが、これは本当の話です。

 私、小学生の頃に、小松左京先生の本やら、他のSFの話やらをごちゃまぜにした、荒唐無稽な雑文(本人は小説と言い張っていましたが)を書いていて、しかも交換日記(そういうものがあったのですよ、かつて)で、それを友人に見せていたという「黒歴史」があるのです(ちなみに、当時は、まだ、”セイバー”だの”サーバント”だの、”ダークフレームマスター”などというものは存在していませんでしたが)

 今回、その小説「日本沈没」の中にでてくる「トンネル効果」の下りをもう一度読みたくなって、Amazonの電子書籍を購入してしまいました(詳しくは、筆者のブログをご一読ください)。

 そんな訳で、20年ぶりくらいに、その「トンネル効果」が出てくる部分を読んでみたのですが、「んーー、この設定、ちょっと厳しいんじゃないかなぁ」と思いました。

 「トンネル効果」という現象は、非常に微小な世界において発生する物理現象というイメージがありますが、量子力学は、古典力学の全部を包含するものです。ですから、海底のマントル層であろうが、地上の壁であろうが通用する「効果」です。

 そこで、この機会に「人間が壁を通り抜ける確率」の計算を試みてみました。

 どうせ壁を使うのであれば有名な壁がいいなぁ、と考えて、最初はイスラエルの「嘆きの壁」で検討を開始し始めたのですが、『政治、宗教、野球、恋愛については、人と議論してはならない』という私のモットーを思い出し、今回は、どこからもテロを受ける可能性のない「ベルリンの壁」に変更しました。

 まずは、ベルリンの壁を通り抜けるためのエネルギーの計算(仮説)を行ってみました。

 コンクリートの密度を2.5、人間を1.0とすると、壁に損傷を与えることなく壁を通過するには、壁の密度は通過の瞬間2.5→3.5に変化することになります。壁の密度変化率を0.4(=1ー3.5/2.5)として、コンクリートの体積弾性率を20GPaとすると、壁の単位面積あたりの圧力は20x0.4= 0.8GPa = 800N/mm2(ざっくり、1mm2当たり80kgの圧力)となります(ただ、これはコンクリート固体表面での圧力計算であり、コンクリートの中の3次元空間移動中(?)の圧力と同じ扱いができるかには疑問が残りますが、面倒なのでこのまま話を進めます)。

 次に、壁を通り抜ける物体である「私」の運動エネルギーの計算を行いました。

 私の体重は、現在67.5kgなので、これを長さ1m、面積0.0675m2 (=26cm x 26cm x 100cm)の角材(成分は水)と見たてて、この角材をベルリンの壁に突き刺していくというイメージに変換してみました。この場合、54ギガジュール(TNT火薬1トン分強)のエネルギーが必要という計算になりました。この値が、エネルギー障壁V0となります。

 ちょっと、この値、大きすぎるんじゃないかなー、と思い、実際のビル(20階立て)に使われる火薬を調べてみたところ、ざっくり8.4ギガジュール、TNT火薬0.2トンくらいでした。

 ベルリンの壁に私を突き通すのに、ビルを6棟破壊するほどのエネルギーがいるかな? とも思ったのですが、コンクリートを「爆破」するのではなく「コンクリートの壁を破壊せず、その形状を1mmも変化させることもなく、私の体を力づくで壁の中にねじ込む」とすると、その位のエネルギーは必要かもしれないと思い、計算をそのまま続行しました。

 ベルリンの壁dは2.5メートルくらいの厚さがあります。今回は、私が、全力疾走(歩行速度の約3倍の11km/h(=秒速v=3.0[m]程度)で、壁に激突をくりかえすものとしました。私の体重mは67.5kg だから、運動エネルギー1/2mv2として計算すると、運動エネルギーEは303.75ジュールとなります。

 さて、ここにV0,m,E,dの値が出そろいましたので、これを、壁を通り抜ける(トンネル効果)の確率の式に放り込んでみました(勉強させて頂いたサイト(動画)はこちら)。

 といっても、ディラック定数自体が、10−34というすごい桁数で、電卓やエクセルやプログラム(C/C++, Go)で取り扱うことができませんでした。ですので、lim x→∞の時sinh(x)→1/2 x exp(x) = 0.5 x 100.4343xと見なして、手計算を強行しました。

 私は、この数と比較できる数字を見つけられませんでした(宇宙の年齢137億年を秒数に換算しても、たかだか1017秒から1018秒程度ですし、”宇宙のはじまりの瞬間”をとらえた「インフレーション理論」の経過時間も、10-36秒後から10-34秒後程度です。

 まあ、私がベルリンの壁を通り抜けられる確率は、”ゼロ”といって良いでしょう*) ―― というか、量子物理の世界を、現実世界に適用する虚しさを、皆さんに実感してもらえれば、十分です。

*)ちなみに、私は、Tさん(後述)から3回ほど計算ミスを指摘されて、3日間ほど再計算を繰り返しました。

 ちなみに、小説「日本沈没」において、「日本列島を水面下に沈没させるためには、『トンネル効果』を登場させる必要はある」のですが、「地下数キロメートルの岩盤に、トンネル効果を期待するのはちょっと難しいな」とも感じたわけです*)

*)小説の中では、日本を沈没させるエネルギー総量は1023ジュール(人類最大の核兵器1,000,000個分)と想定されていますが、トンネル効果を起こすには岩盤が「厚すぎる」のです。

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