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特集:IoTがもたらす製造業の革新〜進化する製品、サービス、工場のかたち〜
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» 2016年07月27日 11時30分 公開

Over the AI ――AIの向こう側に(1):中堅研究員はAIの向こう側に“知能”の夢を見るか (4/8)

[江端智一,EE Times Japan]

「この私が理解できるようなものは、AIではない」

 では、視点を変えて、「私たちはAIというものを、どのようなものであって欲しいと思っているのか」という方向で考えてみましょう。

【1】「AIとは、私たちのこれまでの人生で獲得してきたノウハウを、無益なものにするものであって欲しい」と思っている

 AIが単に質問に対して答えを返すだけのアンサリングマシンであるなら、別段問題はありません。しかし、私たちは、若い時代、膨大な時間をかけて単語や公式や年号を覚えて、山のようなテストや受験を受けさせられて、大人になってからは、社会の理不尽な仕組みをも飲み込んで、社会の一員になったという自負があります。

 これらの私たちの努力の結果や獲得した各種のノウハウを、コンピュータが数秒程度の推論で獲得できるとしたら、感情的であれ、私たちはその存在を許すことできないでしょう。

【2】「AIとは、自分の仕事を奪うものであって欲しい」と思っている

 AIがこれまでにない分野の仕事をやってくれるのであれば、別段問題はありません。しかし、AIが私たちに置き換わって、私たちを失職させるようなものであるとすれば、私たちは、自分の人生や生活のために、その存在を無視することができないでしょう。

【3】「AIとは、人類に反乱するものであって欲しい」と思っている

 AIが完全に私たちの制御下にあり、私たちに奉仕してくれるだけのものであれば、別段問題はありません。

 しかし、AIが自我を獲得して、自らの意思で行動するようになるとすれば、その存在は、人類にとって巨大な脅威になるでしょう。

【4】「語るべき技術が思いつかないとき、『そこはAIを適用して・・・』と言えるものであって欲しい」と思っている

 まだ思いつかない技術や手法があっても、何かを語らなければならない者(特にシステムエンジニアや研究員など)にとって、"AI"という、誰も理解できない魔法の箱(ブラックボックス)の存在がどうしても必要になるのです(本当)。

【5】「Googleやアップルや、その他のAI研究を行っている組織、政府機関をDISる材料であって欲しい」と思っている

 なんか、やつらは、頭が良さそうで、金も持っていて、AIを使って、自分達だけもうけたり、たくらんだり、国民をだましたりしていそうで――それだけでも私たちは十分面白くないのです。


 以上をまとめますと、私たちは、「AIとは『訳が分からないもの』であって欲しい」と願っていると思うのです。裏を返せば、

 「この私が理解できるようなものは、AIではない

 あるいは、

 「この私以外でも、理解できる人がたくさんいるようなものであれば、AIではない

という風に、私たちは暗黙のうちに、逆説的かつ主観的にAIを規定しているのです。

 この仮説を検証するために、1つのSF短編「エクセルがインストールされたPCが、第二次世界大戦前(1939年ころ)に持ちこまれた」というケースで考えてみましょう。

 エクセルがインストールされたPCは、弾道計算や兵站(へいたん)計画や(簡単なものであれば)戦闘シミュレーションまでをも、表計算ソフトで一瞬にして計算し、グラフまで描いてくれる魔法の箱です。

 そんな箱が、その時代の人々の前に突然登場すれば、彼等は、そのPCを「AI」どころか、「神」として祭壇に祀って使ったに違いありません。なぜなら、その箱は、『訳が分からないもの』だからです。

AIの定義は、どうしたって主観的なものになる

 私は仕事柄あるいは、個人的な興味から、各社、各研究機関、各組織が発表している“AI”の中身を調べているのですが、その所感はいつでも、こんな感じです。

 ――なるほど、この“AI”と呼ばれているものは、難しい問題を解決するためにいろいろな工夫をしている。とても立派な研究成果であると思う

 ――だが、この“AI”は、既存の技術の集合体か、またはその改善手法、または既存の技術のスケールアップではないのだろうか。少なくとも、私の知識で理解できる技術だけで構成されているように思う

 ――果たして、これを“AI”と称呼してもいいのだろうか?

 この私の自問に対して私は、「これを“AI”と呼んでもいい」と決めました。

 私の至った最終結論は、前述の通り「製作者が『AI』と主張すれば、誰がどう反論しようが、それはAIである」です。

 AIの定義は、どうしたって、最終的には主観的なものにならざるを得ないからです。

 もし、「主観的な観点から、AIの定義をすることはできない」と主張する人がいるのであれば、前述した私の主張する客観的なAIの定義から導かれる結論、「エクセル(表計算ソフト)はAIである」を受け入れていただきます。

 あるいは、「人工知能の生成プロセスは、人間の脳と完全同一の発生メカニズムで行われなければならない」と主張する人がいるのであれば――まあ、それならそれで、あと何十年でもがんばって、AIと脳の関連を調べる研究を続けて頂ければ結構ですが――それなら、別にコンピュータで実現する必要はなく、「人間を作る」方が、圧倒的にてっとり早い上に安い*)

*)参考:「精子提供サービスの実態と、ヒトのクローンにおける安全面の課題、および技術的進歩

 なぜなら、人間を作れば(産んでもらう、遺伝子操作したクローンを作る、でも、なんでも良いですが)、漏れなく本物の「知能」が付いてくるのですから――何も苦労して「人工」の「知能」を作る必要なんかない――と、私は思ってしまうのです。


 いや〜、長い前置きでした(すみません、本当に、ここまでが前置きなんです)。

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