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» 2020年11月19日 12時30分 公開

湯之上隆のナノフォーカス(32):Samsung会長逝去、浮かび上がった半導体業界“3偉人”の意外な共通点 (1/4)

Samsung Electronicsの李健熙(イ・ゴンヒ)会長が2020年10月25日に死去した。同氏の経歴をあらためて調べていた筆者は、半導体業界の“3人の偉人”に関する、意外な共通点を見つけた。その共通点を語りつつ、Samsungの現状と課題を解説したい。

[湯之上隆(微細加工研究所),EE Times Japan]

世界半導体業界の3偉人

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 2014年5月10日に急性心筋梗塞で倒れ、その後意識不明の状態が続いていたSamsung Electronics(以下、Samsung)の李健熙(イ・ゴンヒ)会長が2020年10月25日に死去した。享年78歳だった。

 世界半導体業界において、最も優れた経営者を選べと言われたら、筆者なら次の3人を挙げる(以下、敬称略)。

1)1968年にRobert NoyceとGordon Mooreが設立したIntelに、3番目の社員として入社し、1987年に社長兼CEOに就任した故Andrew Grove(以下、Grove)

2)1987年にTSMCを設立したMorris Chang(2018年にCEOを退任)

3)1987年に、父・イ・ビョンチョルの死去に伴い、Samsungの2代目会長に就任した李健熙

 IntelもTSMCもSamsungも、この後、急成長を遂げていき(図1)、2010年以降に「ビッグ3」と呼ばれるようになるが、その起点となった年が全て1987年であることに驚かざるを得ない。

 筆者は1987年に日立製作所に入社して半導体技術者の道を歩むことになったが、くしくもその年は、世界半導体業界の運命が音を立てて回転し始めた年であったといえる。その偶然の一致に、不思議な感慨を抱くのである。

図1:Intel、Samsung、TSMCの半導体売上高推移 出典:電子ジャーナル『半導体データブック』および各社のIRデータを元に筆者作成(クリックで拡大)

 そして、上記3偉人には、「1987年を起点とした」こと以外にも共通点がある。それは、それぞれの偉人たちが「変えた」ことにより道を切り開き、おのおのの企業を大きく成長させたという点である。以下では、彼らが何を「変えた」のかを述べる。その上で、李健熙が亡くなったSamsungが直面している課題に言及し、その将来展望を論じる。

IntelのGroveいわく『パラノイアだけが生き残る』

 Intelは、集積回路(IC)の発明者の1人であるRobert Noyce(初代CEO)と、「ムーアの法則」で有名なGordon Moore(以下Moore、2代目CEO)の2人によって設立された。当初、Intelが基幹事業に据えたのは半導体メモリ(特にDRAM)だった(図2)。

図2:Intelの歴代CEOと半導体売上高 出典:電子工業年鑑および電子ジャーナル『半導体データブック』を基に筆者作成。CEOの写真はインテルミュージアムの「インテルの歩み」による

 Groveは1968年、Intelの1号社員として入社し、世に言う「3人組」体制が出来上がった。Groveの最初の仕事は、半導体工場の製造管理責任者(Director of Operations、略して“ディレクター・オプ”)だった(ロバート・A.バーゲルマン著『インテルの戦略』(ダイヤモンド社)より引用)。

 ディレクター・オプは設計・製造のスケジュールを厳守し、原価管理を行い、半導体製品を出荷するまでの全ての工程を管理する。すなわちGroveは、マーケティング、販売、中長期的戦略立案以外の全ての仕事を掌握した。

 Groveの本来の気質と、このディレクター・オプの仕事が絡まり合って、その後の“偏執狂”的なマネジメントを生み出したと思われる。それが、『パラノイアだけが生き残る』という名言につながっている(これと同じタイトルの著書が日経BP社より出版されている)。また、一度決めた装置やプロセスをかたくななまでに変えないIntelの哲学“Copy Exactly”を定着させたのも、Groveだと思われる。

Intelの事業をメモリからCPUに変えたGrove

 1975年にMooreが副社長からCEOに就任し、GroveはCOO(最高執行責任者)に昇格した。Moore CEOの初期、Intelは4Kから16K世代でDRAMのトップ企業になった。しかし、日本半導体企業が大挙して参入してくると、Intelのシェアは急降下した。256K世代ではIntelのシェアはたったの1.3%になった(図3)。

図3:Intelの世代別DRAMシェアの推移 出典:データクエスト社のデータを基に筆者作成(クリックで拡大)

 Moore CEOはテクノロジードライバーとしてDRAMを続けることを主張したが、1Mの開発は中止することになり、Grove COOがDRAM撤退の責任者になった。このことから、既にGrove COOがMoore CEO以上の実権を握っていたのではないかと推察される。

 そして、冒頭で述べた通り、1987年にGroveが3代目CEOに就任した。Grove CEOは、恐怖政治による強烈な中央集権制度をつくり上げた。COOには(4代目CEOになる)Craig Barrettを起用し、彼の役割を「ミスター・インサイド」と表現して、Grove CEOの戦略を完璧に遂行させた。社内の全ての報告がGrove CEOとBarrett COOに上げられ、全てをこの2人が決定した。そして、このような経営手法がIntelの企業文化として定着することになった。

 Grove CEOは、一切の容赦なく全社員の全てのエネルギーをPC用プロセッサへ集中させ(邪魔者は切り捨てられ、耐えられない者は出ていった)、その結果Intelは巨大な成長を遂げ、1992年に半導体売上高で世界1位に躍進し、その後、24年間にわたって世界の盟主として君臨することになった(図4)。

図4:半導体売上高ランキング 出典:電子ジャーナル『半導体データブック』、IHS iSuppli、IC Insights等のデータを基に筆者作成(クリックで拡大)

 一言でいえば、Groveは、Moore CEOの経営方針に反旗を翻し、Intelの基幹ビジネスをDRAMからプロセッサに切り替え、CEOとCOOによる強力な中央集権体制を形成することにより、Intelを世界第1位の半導体メーカーに躍進させたのである。

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