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» 2020年11月19日 12時30分 公開

湯之上隆のナノフォーカス(32):Samsung会長逝去、浮かび上がった半導体業界“3偉人”の意外な共通点 (3/4)

[湯之上隆(微細加工研究所),EE Times Japan]

李健熙が残した名言

 Samsungのカリスマ的なリーダーだった李健熙は、数多くの名言を残している。代表的なものを挙げてみよう。

「妻と子供以外はすべて変えろ」
「1人の天才が10万人を食べさせる」
「今後10年以内に今の代表的なビジネスや製品は消え去るだろう」
「21世紀は知的資産が企業の価値を決定づける」
「まだ日本企業から学ぶべきことがある」

 これらの名言については、現在も色あせていない(最後の発言だけは風化したかもしれないが)。これらは多くの書籍や記事が解説しているので、本稿では説明しない。ネットで検索すれば、李健熙が、どのような状況の時、どのような意図で、上記の発言をしたかがすぐに分かるだろう。

 それより、李健熙が、Samsungの半導体事業をどのようにして立ち上げたのか、DRAM事業にどのようなインパクトを与えたのかに焦点を当てたい。

Samsungの半導体事業の黎明期

 時は1974年12月にさかのぼる。韓国内で米カムコ社が運営していた富川半導体工場の買収を巡って、父でありSamsung初代会長のイ・ビョンチョルと、当時Samsung傘下の東洋放送取締役だった李健熙の意見が分かれた。

 慎重な性格のイ・ビョンチョルは買収の決断を下せなかったため、李健熙は、「お父さん、その件は私が個人でやってみます」と言って、個人名義で富川半導体工場を買収したという(福田恵介著『サムスン電子 躍進する高収益企業の秘密』、東洋経済新報社、2002年)。

 ところが、イ・ビョンチョルは自身の著書『市場は世界にあり』(講談社、1986年)の中で、『…慎重の上にも慎重な検討、分析を続けました。その結果、「産業の米」であり、21世紀へ向かって進みつつある新産業革命の核となるはずの半導体の開発に三星は取り組むべきだ、という決断を下したのです』と書いている。

 つまり、イ・ビョンチョルは、「半導体産業進出の決断を下したのは自分だ」と主張しており、三男の李健熙が個人の判断で富川工場を買収し、半導体事業の先鞭をつけたことには、一言も触れていない。

 イ・ビョンチョルも李健熙も、既に亡くなられたので真相は闇の中である。しかし、筆者は、李健熙が韓国の、そしてSamsungの半導体のパイオニアだったと確信している。イ・ビョンチョルは、会長職をしりぞく1986年までの間に(李健熙が立ち上げた)Samsungの半導体事業が急成長していることを見て、「自分が半導体事業を育成した」という思いがあり、それが著書への記載になったと想像している。

 もし、李健熙が(父・イ・ビョンチョルの意向に反して)個人で富川半導体工場を買収しなかったら、今のSamsungは無かったかもしれない。そして、この買収こそが、李健熙がSamsungを「変えた」最大の功績ではないかと思っている。この李健熙の決断は、Moore CEOに反旗を翻してDRAM撤退を決めプロセッサに舵を切ったIntelのGroveおよび、反対者だらけで誰も支援してくれない状態でファウンドリーのTSMCを設立したMorris Changの行動に相通ずるものがある。

エンジニアの素養があった李健熙

 福田恵介氏による前掲書には、李健熙に関する逸話が多数掲載されている。その中でも驚いたのは、次のエピソードだ。

 李健熙は1965年に早稲田大学商学部を卒業し、ジョージ・ワシントン大学経営大学院 MBA課程を修了している。この学歴からは、李健熙が文系の道を歩んでいることが分かる。

 ところが、李健熙は、独学でエンジニアの専門知識を習得しており、その手法が一風変わっている。李健熙は、市場で売られている電子製品を片っ端から購入し、それを分解しまくったという。その際、疑問点があれば専門家に教えを請うた。このような手法で、電子製品およびその技術について深く広い知識を有するようになった。

 そして、1987年にSamsungが4M DRAMを開発する際、2代目の会長に就任した李健熙が決定的な決断を下した。DRAMには、キャパシターをトランジスタの上部に形成するスタック方式とシリコンウエハーの下部の孔に形成するトレンチ方式があった(図6)。両技術には長所と短所があるが、どちらかに決めなくてはならない。ここで、李健熙は次のように発言し、技術の方向性を決めたのだ。

「複雑な問題であるほど、単純にしなければならない。回路を高く積み上げる方式がたやすいのだ」

 DRAMの歴史は、李健熙の言う通りになった。トレンチ方式を選択した東芝が量産立ち上げに手間取り、スタック方式を採用した日立が16Mと64Mでトップの座についた。その後、東芝もスタック方式に移行し、トレンチ方式を採用するDRAMメーカーは皆無になった。

図6:DRAM構造の変遷 出典:日本半導体歴史館

 技術者の経験が無いにもかかわらず、先を見通して正しい判断を下すことができる李健熙には、正直言って脱帽するしかない。

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