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» 2019年12月26日 11時30分 公開

江端さんのDIY奮闘記 介護地獄に安らぎを与える“自力救済的IT”の作り方(3):見張れ! ラズパイ 〜実家の親を熱中症から救え (2/7)

[江端智一,EE Times Japan]

介護は「ブラックボックス」だ

 こんにちは、江端智一です。

 「介護IT」シリーズの第3回です。今回の前半では、「IT介護(見守り)に対する2つの考え方」「認知症の人の心の中」「いずれ認知症になる私たちの覚悟」および「私たちの寿命年齢の適正度」について考えてみたいと思います。

 後半では、Amazonで5000円程度で購入できる、シングルボードコンピュータ「Raspberry Pi(ラズベリーパイ、以下ラズパイ)」を使った、実家の老親を見守る最小システムの作り方をご紹介したいと思います。



 過去のコラムで紹介しましたが、私たちの人生において、介護に関わる期間は「人生の2割以上」です(関連記事:口に出せない介護問題の真実 〜「働き方改革」の問題点とは何なのか)。

 まず、介護する側として10年、介護される側として10年、ざっくり合計20年が必要となるからです。一方、動物の場合、自力で餌を捕れなくなった時点で寿命となりますので、"介護"期間はゼロになります。

 そして、この"介護"は、介護者であろうが、要介護者であろうが、「逃れたいのに、逃れられないもの」の代表的な一例です。

 これは、私たち生物の致死率100%の「死」と同じですが、「死」は、基本的に時間的な一点なのに対して、「介護」は20年という時間的な連続線であることが、多くの人をおびえさせ、この問題から目を背けさせています。

 このような、目を背けたい現実に対して、私たちはおおむね真逆の2つの反応を見せます。「目を背ける」か「直視する」か、です。

 私は「目を背ける」ことにしています。世界中の、目を背けたくなる事実を全部直視していたら、その時間だけで人生が終了してしまいますし、おおむね、それらは、私には解決できないことだからです。

 介護にしても同様です。介護に関する事実は、つねに憂鬱です。それが逃れることができない現実であるからです。介護を必要とする前に死亡しない限り、要介護率は100%です

 介護問題を本質的に解決する手段は、現在のところ(恐らく未来も)ありません ―― それが故に、私が腹を立てているものがあります。

 それは、「要介護人(とくに認知症の人)の症状が改善した、という症例を強調するテレビのドキュメンタリー番組」です。はっきり言えば「NHKスペシャル『介護XXXXX』」という番組です。

 例えば、「認知症患者に対して、さまざまな接し方を試みることで、認知症の症状が改善した」 ―― という内容が、しばしば放送されます。もちろん、その内容自体は素晴らしいことです。

 しかし、そのような、レアケースを汎用的な手法のように語ることによって、日本中の「介護者」に対して「努力不足である」と非難していることにもなる、という「残酷さ」を発生させているのです ―― 無論、番組製作/放映サイドにそういう悪意がないのは分かっていますし、これは一つの「希望」になっていることも知っています。

 そうであったとしても、その成功手法の成功率(十分な実験回数の母数)の数値も合わせて知らせるのが、ドキュメンタリー製作者の責務です。レアな奇跡を、汎用的な事例として放送するのは、やめてもらいたいのです。

 「絶望の中に光を当てることで、さらに残酷な絶望が発生する」という、この負のフィードバックは、介護の世界では顕著です。

 なぜ、このようなことが発生するのか、というと、第一に ―― これは私の私見ではありますが ―― 介護は、そして特に認知症は、科学的アプローチ(仮説→観察→検証→修正)が適用しにくいからです。

介護は「ブラックボックス」なのです

 いわゆる「ブラックボックス」です。

 老親が要介護となって、さらに認知症となった場合、介護者である私たちは、認知症となった老親とのコミュニケーションが取れなくなります。

 痛いのか、苦しいのか、つらいのか、悲しいのかを知る手段がなく、発言内容な意味不明になります。理不尽な罵倒を受けることすらあります(後述)。

 以下は、私が「IT見守りシステムを提供する」という提案をした時の、私の姉の考え方(#1)と、私の嫁さんの考え方(#2)の違い、『必要ない/必要ある』を記載したものです。

 この考え方の違いは、その背景の違いに依存するようです。姉の方は、ほぼ毎日、実家に訪問することができましたが、嫁さんは3カ月に1回しか帰省することができません。

 私は、ITによる見守りが無条件に良い、などと考えていません。ですので、上記の2つの考え方はどちらも正しいのです。

 そして、第二に、「介護は、負の遺産の継承である」という考え方です。一言で言えば、「介護しなかった者は、介護されない」という因果応報論です。

 しかし、この因果応報論は、あくまで観念の世界であって、現状、介護保険料を支払っている人は、原則として行政による介護を受けられるはずです。

 しかし、我が家(江端家)のように、姉や私が走り回っているケース以外の、介護のユースケースを私は知りませんし、そのような情報もあまり出てきません。

 また、言うまでもなく「結婚して子どもを作ることは、介護を受ける為の準備」などという考え方はナンセンスです。

 なぜなら、この考え方が正しいとすれば、その逆相は「介護を受けられないのは、結婚して、子どもを作らなかったからである」となり、この理屈がまかり通ることになるからです。

 こんな考え方は、現在の社会通念上認められる訳がありませんし、そもそも、それなら介護保険制度の設立根拠が消滅してしまいます。

 今や、結婚→家庭→出産→育児というフロー自体が成り立たなくなってきています。これは、そのような生き方を「しない」のではなく、「したくても、できない」社会になっているからです。

 2012年に私が行った「未婚率」の机上シミュレーションの結果は、現時点においては、ほぼ予想通りに推移しています ―― 私は当時、「このシミュレーション結果が、派手に外れたらいいな」と思いながら計算していました。

 2015年、2017年の政府発表の、女性の生涯離婚率は、私の算出した線形式の上にキレイにプロットできました。ちなみに人口減少の方は、私のシミュレーション結果を上回る速度で、まい進中です。

 下の表は、上記のシミュレーション結果を、具体的な数値で表してみたものです。

 私は、「私の娘たちの世代の女性100人中35人は結婚しない」未来を予測しています。

 つまり、もはや介護はこれまでのように「家族」というシステムや、「親子」という血縁関係などを前提とする仕組みとしては、成り立たない時代に突入しているのです。

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